勝手に「ベル」という名前をつけた。
その時私は、ボクサー犬とドーベルマンがごっちゃになっていて、本当はボクサー犬なのに、ドーベルマンだと思っていて、それで「ベル」にしたのだけど、本当はボクサー犬だから、もう意味が分からない事になっている。
でもいいのだ、ベルで。
ベルは、いかめしい顔つきの割に、結構グタグタな奴で、大抵庭でお腹を出して寝ているか、たとえ起きていても、ぼんやりと所在なさそうにしている。
試しに「おいで」と言うと、泣きそうな顔でこっちを見てくる。
なんとも言えず、可愛らしい。
ベルは、おそらく備え付けの花壇用の窪み、と思われるスペースをいたく気に入っている様子で、8割がたそこで寝ている。その窪みが、ベルの身体にジャストフィットしていて、すっぽり収まっている姿がまた可愛らしい。
私は、ベルの家の前を通って出かけるのが日課になった。
ベルが寝ていると、「また寝てるな」と嬉しくなるし、起きていると、試しに「おいで」と言ってみて、泣きそうな顔を見て愛おしい気持ちになるし、いないと「いないなぁ」と思って淋しい気持ちになる。
ベルは、飼い主でもなく飼い主の友人でもない、本当に全くの他人の私が、こんなにも癒されている事を知っているだろうか?
もちろん、知るはずないのだ。
そんなこと、ベルには全く関係ないし、ベルは、ただただ自分の世界で、自分流に、自分の時間を過ごしているだけだ。毎日、眠ったり、遊んだり、食べたり、はしゃいだり、たまには淋しい思いをしたり、腹を立てたり、どこかに頭をぶつけて痛い思いをしたりするかもしれない。そんな風に、ただただ自分の世界を生きているだけで、その世界の中に、私は全然関係ない。
私は私で、勝手にベルに癒されていて、大好きだから、『ベルが毎日健やかに楽しく過ごせるといいな』と、やはり勝手にベルの幸せを願ったりしている。
けど実は、いつか勝手に飽きるかもしれないし、ベルよりもっと気になる犬がやって来て、ベルなんてどうてもよくなるかもしれないし、先の事は分からないのだ。もしそうなったとしても、やっぱりベルは1mmほども気にしない。ベルは揺るぎなく、ただただ自分自身を生きているだけだからだ。
そんな事が、きっと想像以上に、この世界にはあふれかえっているのだろう。
それは、なんだかとっても素晴らしい事のような気がした。
それを確かめる事は出来ないけれど、確信に近い気持ちで、そうだと言える気がしている。
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