Sunday, August 28, 2011

はっぴぃさん


荒井良二さんの「はっぴぃさん」を読みました。
荒井良二さんは、改めて書く必要もないかと思いますが、今日本で1番人気のある絵本作家さんの1人で、またイラストレーターさんです。

ずっと気になりつつも、読んだら影響を受けすぎてしまう気がして、なんだかこわくて、ずっと距離を置いて来ました。なので、表紙の雰囲気がライトなものとか、文が別の人のものとか、そういう数少ない作品しか手に取らないようにしていました。
「はっぴぃさん」は、私的には、ずっと気になりつつも、遠ざけていた1冊だったのです。

でも今日は、なんとなく、手に取ってしまいました。
深く読まないように、パラパラと見るつもりだったのですが、どうやら男の子と女の子が主人公のお話。
実は今、男の子と女の子が主人公のお話の案を練っている最中なのですが、あまり「恋」っぽくなりすぎないように、でもやっぱり女の子同士のお話とは違う、ほんのちょっと「恋」の要素は必要で、そのさじ加減がすごく難しくて、どうしたものかと思いあぐねていたところで、これは参考になるかも、と思って読み始めたのですが・・・

立ち読みしながら泣きそうになってしまいました。
立ち読みしながら泣いてる人ってかなりやばい。
あぶないあぶない、と、慌てて買ってお店を出ました。

参考にしようとか、そんな商売っ気みたいなものは、吹っ飛んでしまいました。
そんなのどうでもよくなりました。

最後から2番目の、引きのカットで、涙がポロポロ止まりませんでした。
それは文章とはある意味切り離されたもので、でもそれ故の存在感があり、あぁ、なんてすごいイラストなんだろう・・・という尊敬からの感動もあり、でも涙が出たのは、やはり作品に泣かされたからなのでした。

人は、どんなに理不尽な状況や、自分の責任ではなく負わされてしまった過酷な環境の中でも、ささやかな幸せや、小さな夢を見ながら生きて行く事ができる強さを持っているのだな、と思えました。それはむしろ、読者である自分の「そうありますように」という希望かもしれません。でも、そうなのだ、と思えました。
でも、やっぱりそういう暗闇みたいなものは、どうしたって生活の周りにあって、出来る事なら無くなってほしいのは当たり前で、ささやかな幸せや夢とは別の次元で、やはり「なくなってほしい」という祈りもあるのでしょう。それはきっと、あまりに自分の力では太刀打ちできないくらい巨大な暗闇で、もはや「願い」ではなく、「祈り」の領域です。

私が言うと何だか安っぽくて恥ずかしいのですが、世界が平和で、今生きている人々が、しなくてもいいはずの「祈り」をしなくても済んで、自分の意識を、日々のささやかな幸せに集中することができるような世界になりますように、と、本当に思いました。

こうやって、感想を書きながらも、涙がポロポロ止まりません。
なんだかバカみたいな光景ですが、今の感動を記録しておきたくて、書いています。
今過酷な状況の下で、どうしても祈らずにはいられない人たちが、その祈りの時間を少しでも自分自身の幸せを願う時間に充てられるように、(キレイごとかもしれないけど)今平和にいられる自分が、その人たちの分まで祈ろう、と思いました。

本当に、読んでよかったです。

Friday, August 26, 2011

チェコの日!




火曜日に、お友達のYさんと、芝生さん「めぐるもの 東欧の日用品マーケットから」に行って来ました!

可愛いものがありすぎて、Yさんと2人で
「やばい」
「どうしよう」
を連発して、色々迷った挙げ句のYさんの
「私は決めにかかります」
という決め台詞に私は大ウケしたのでありました。

私の戦利品は、コースターとオーナメント?的なもの。
秋冬に活躍しそうな色!
チェコ?の新聞紙に包んでいただきました。
(写真上)

Yさんの新聞紙に、偶然ですがホラーな写真が組み込まれてて、ひとしきり怖がって楽しかったです。
私はまたしても、Yさんの
「夏だからちょうどいいかも」
発言に大ウケしたのでありました。

その後は、同じくすずらん通りのリンファさんというアンティークのお店に行きました。
こちらにも、東欧雑貨が並んでいます。

こちらでの戦利品は、ワックスペーパーの紙袋と、なんとも可愛らしい洋梨のロウソク。
(写真中…*ちなみに下に敷いた紙ナプキンはHさんからのいただきもの。可愛くて捨てられません…)
洋梨のロウソクは、もしかしたら東欧関係なかったかも・・・ちょっとうろ覚えです。控えめないい香りがします。
少し涼しくなったら、ワックスペーパーの紙袋に、おにぎりとかサンドウィッチとか入れて、どっか行きたいな。小旅行とか。

ちっちゃいものを色々買うと、あえてその日は包みを開けないで、翌日に忘れた設定で「なんだろ〜♪」って、ワクワクしながら開けるようにしています。
そうすると、クリスマスみたいで2倍楽しいから!

というわけで、翌水曜日は、チェコの日!と決めて、前日買った戦利品を並べたり、ブランボラーク(ジャガイモのパンケーキ)という、チェコの料理を作ったりして楽しみました。まぁ、なんちゃってだけど、それなりに美味しく出来ました。ビールもチェコのものにしたかったのだけど、見つからなかったので、普通のビールですが、やっぱり良い組み合わせ!この量で、小さめのジャガイモを4つ使ってます。全部食べたらマズいよなぁ、デンプンの塊…と思いつつ、やっぱり食べてしまいました。
(写真下)

ハルカゼ舎さんの“旅するチャルカが出会った「東欧の紙雑貨」”にも行きたいし、芝生さんも追加商品があったりするそうなので、週末にもう1度遊びに行こうと思います!楽しみ!

Wednesday, August 24, 2011

心配さん。


ある本に、「心配をする人は、エネルギーを奪う」って書いてあった。
本当に!?って思った。

だって私、かなりの心配性だ。
他人の事も、周りで起こる出来事も、近い将来とか遠い未来とか、もちろん自分自身の事も、毎日とにかく色々心配だ。

当たり前のことだけど、なにもエネルギーを奪う目的で心配している人なんていなくて、心配したからといって、コトが好転するわけでもないことも分かっていて、できることならしたくないけれど、するつもりはなくてもどうしてもしてしまうのが、「心配」というものだろう。

でもたしかに、いわれてみれば。
あれこれ心配ばかりしているお母さんがいたとして、その子どもを想像すると、なんかこう、気ばかり使って疲れている、弱々しい子どもがまず浮かんでくるなぁ。

そこまで分かりやすくなくても、なんとなく、ちょっと納得した。
そうかもしれない。
「心配」は、心配の対象も、それから自分自身も、消耗させるのかもしれない。
ちょっとゾッとしたし、申し訳ない気持ちになった。

どうせなるようにしかならないのだとしたら、なおさら、心配なんてしたって意味がないのだ。もうやめよう、と思った。(そう思ったところでやめられないのが「心配」なのだけど。)

そんなことより、今目の前で起こっている中で、1番キラキラしているものを見た方がいいし、それに気付けるように、なるべく目や耳や心を澄ましていよう。

でも、今までの超心配人間だった自分も、悪気があってしていたわけではないのだから、あんまり否定するのはやめてあげよう。
ただの楽観と、1度底を見てからの楽観は、きっと全然違うはずだから、そんなに悪くはなかったよ、って言ってあげよう。

そう言っているそばから、〆切間に合うかなぁ…ってちょっと心配してる。
まぁこの程度の心配なら良しとしよう。

Friday, August 19, 2011

こんな天気だから


誰かの話を聞いたとき、それが親しい人であればあるほど、鳥肌が立つくらいに、まるで自分が経験してしまったかのような感覚になってしまう体質(というか癖というか)のようなものは、数少ない自分の長所だと思っていたのだけど、もしかしたら、私はひどい勘違いをしていたのかもしれない。

それは、よく言えば「共感」する力、とか、「共鳴」する力、なのだろうけれど、悪く言えば、自分から巻き込まれて行く不安定さ、ということになるのだろう。

その話が、明るい話だったなら、それはそれで円満だ。
でも、辛い方の話だったら。

私は鳥肌を立てて、一緒になって辛くなって、ぐったりして、底なし沼にはまったみたいに、しばらく沈んで這い上がれなくなってしまうのだ。
それは、寄り添っているようでいて、本当は引きずられているだけだ。

誰かが一緒になって悲しんでくれたら、一時は救われた気持ちになるかもしれないけれど、本当の救いというのは、自分はしっかりと岸に立って、決してそこから動かないで、時間がかかったとしても、泥の中からひっぱり上げてあげることではないだろうか?
それには、きっとものすごい強さが必要なのだろうと思う。

今、「共感する」という方法で、一時的にその人を救うことは出来るし、そうした方がどんなにか楽だと思う。
一緒になって沈むことは、それはそれで結構きついのだけど、動かずにいる意志力に比べたら、だいぶ楽だ。でもそれこそが、一緒になって辛くなっているようでいて、所詮は擬似体験をしているにすぎないという、何よりもの証拠なのだと思う。

ギリギリまで近づいて、それでも岸に立ち続けるには、とてつもないエネルギーが必要だ。一歩間違えたら、それは狡さになってしまう。ただ見ているだけの、卑しい人になってしまう。
でも、正しいやり方で、ちゃんとそれが出来るようになったら、また違う景色が見えてくるのだろう。

今日のお天気がこんなんでよかった。
晴れていたら、こんないいお天気の日に、何してるんだろう?と思ってしまったと思うから。
晴の日も、曇りの日も、風の日も、雨の日も、雪の日も、それぞれに必要で、大切だと思った。

Wednesday, August 10, 2011

ありがとうございました。









先日、「なつこちゃんとなつちゃんと」“わたしドーナツこ”絵本原画展、無事に終了しました。みなさま、本当にありがとうございました。

展示が終了したら、きっとポカンと時間が空いて、寂しくなったりもしながら、でもゆったりと、思い返したり、お礼のご連絡を差し上げたりして過ごすのだろうな、と思っていたのですが、翌日からやけに家の電話は鳴り響き、おかげさまで忙しい日々を過ごしております。そんなこんなで、こちらの更新もすっかり遅くなってしまいました。

今回の個展は、この年齢でこんなに楽しい個展を経験してしまってよいのだろうか?と、今後が心配になるくらい、楽しくて、幸せ感に満たされた日々でした。言葉にすると、台無しにしてしまうような気がして、ちょっと怖くて書けないのですが、本当に、あの時間は、色々なものが、おだやかにキラキラと光っているように感じました。

もしもこの先、自分が事故や病気でそれまでの記憶をなくすようなことが起こったとしても、思い出す記憶の中に、あの日々はきっと含まれているだろう、と思うのです。もしも出来事として思い出せなかったとしても、きっと感覚だけは覚えていて、例えば曇り空の日に、長い商店街を散歩する時だとか、天気雨の日に、誰かが自分の家にやって来た時だとか、コーヒー豆を挽くガーッという音を聞いた時だとか、誰かにお花を貰った時だとか、寝転んだ媚びない老犬を見た時だとか、美味しいお菓子を食べた時だとか。そんなふとした時に、あのキラキラとした感覚を思い出して、理由は分からなくても、とても満ち足りた気持になれるだろう、という、そういう自信があるのです。

そんなキラキラとした日々を送る事が出来たのは、関係者のみなさまや、ご来場いただいたみなさま、「行けないけど成功を祈ります」と応援して下さったみなさま、そして、「すずらん通り」という不思議な土地の力とそこにいるみなさまのおかげです。

あんまりよく知らないのに、私は「すずらん通り」や、そこにいる人たちが、大好きになってしまいました。受け入れてくれるのに、放っておいてくれる、その絶妙な距離のとり方は、本当に優しい人たちの距離感です。例えるなら、子どもの頃に、父や母の友人が家に遊びに来ていて、楽しいのに子どもだから先に寝なくちゃいけなくて、一人で寂しいのだけど、隣の部屋からはその人たちの話し声や物音がしていて、眠る直前までとても満ち足りた気分でいられる、そんな優しい距離感です。そこには、一向に果たされない大人の約束や、人を悲しくさせる社交辞令なんてなくて、ほんの少しの優しい意地悪があったりします。
大好きで、毎日だって遊びに行きたいくらい。
でもそれをしないのは、私はずっと「こんにちは」と「さようなら」を言いたいからなのでしょう。

はじめて会う人にも、親しい人にも、何度でも、「こんにちは」と「さようなら」を言えるように、これからも何かを作っては、たまにお披露目する会を催したいと思います。
私は一体、作品を見てほしいのか、人見知りのくせに人に会いたいだけなのか、よく分からなくなることがあります。きっとこれからも、よく分からないままなのでしょう。真面目な人が聞いたら怒るかもしれない。でも、そんなイラストレーターがいても、ちょっとくらいいても、まぁいいかも、と思います。

だから今は、無理せず少しでも長く続ける、が目標です。
ありがとうございました。
そんな私ですが、これからも、なんとなく、見守っていただけたら、とても嬉しいです。