Monday, July 23, 2012
覚え書き
ちょっとしたきっかけで、ここ一週間くらい、自分の中のある記憶を探しています。思い出したそばから忘れないために書いていくので、まとまった文章ではありません、と最初に言い訳しておきます。
何を探しているかというと、「死」についての、最初の記憶です。
(余計な心配をかけてしまってもいけないので、念のためですが、きっかけは仕事で、制作上よくよく考えてみたい、と思ったわけです。)
「死」という言葉の意味を理解する事と、「死」という出来事をある程度の実感をもって理解する事は、少し違うと思うし、幼い頃の「死」の印象も、とても気になるところです。
年齢順に思い出したいことろですが、いかんせん昔の、しかも幼い頃の記憶なので、曖昧です。記憶を辿る糸口として、まず、強く記憶に残っているもので、その中でも時期がはっきりしているものから上げていきます。
まず、強く印象に残っているのは、母が入院をしたことです。これは時期もはっきりしているので、「母の入院前・中・後」というふうに、軸にできそうです。
母が入院したのは、5才の秋でした。期間はたしか、半年ほど。
比較的大きな手術をしたのですが、その時私は、
「手術に失敗して、お母さんが死んじゃったらどうしよう。」
と思って、とてもこわかったのを覚えています。
「手術に失敗=死んでしまう」というのが、自分で考えた事なのか、テレビや本でなんとなく仕入れた情報なのか、周りの大人たちに言われた事なのか(私の周りは、父を筆頭にそんなこと言いそうな大人たちばかりでした!私は風邪をひくたびに、「ヨコボリ(町の葬儀屋)に電話しなきゃな」と言われていたのです。母の入院中も!父最悪!)、その辺ははっきりしませんが、少なくとも5才の時点で、「死ぬ」という言葉の意味と、それに対する「こわい」という自分なりの印象、そして「母が死んでしまったらいやだ」と感じる、ある程度の実感を持っていた事は確かだと思います。
ただ、ここで気になるのは、母の入院中、叔母(隣の家に住んでいたのですが、病弱だったので、遊んだ記憶はありません)が病気で亡くなったのですが、それについては、「悲しい」と思った記憶がないのです。
叔母の葬儀のあれこれが落ち着くまで、私は親戚の家に預けられていました。叔母が亡くなったことも、後から聞いたのです。
棺に入った叔母の死に顔を目の当たりにしたら、思うこともあったかもしれませんが、見なかったのでわかりません。「従兄弟と遊べて楽しかったなぁ」くらいなものでした。
叔母が亡くなったのは、母の手術よりも後ですから、「死」の意味は理解していたし、自分なりの印象も持っていたはずなのです。
自分と親しくない人の死は、なんとも思わなかった、ということなのでしょうか?
もしくは、「辛かっただろうな」「かわいそうだな」という気持を他人に抱くほど、まだ成長していなかったのでしょうか?
多分、叔母には大変申し訳ないのだけど、「自分と親しくない人の場合は…」の方だと思うのです。
入院中の母に対しては、「手術するのかわいそう」とか、「動けなくてかわいそう」という気持は持っていたし、またそれとは別の、ちょっと変な記憶も根拠にあるのですが、長くなってきたので、それは次に。
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