Monday, September 12, 2011

夢の話


先日、夢に関する映画を観た。
それで思い出した、不思議な夢のこと。

夢の中で私はまだ学生で、遠足とか修学旅行とか、非日常的なところに行っていて、友達と歩いていたら、見た事ないピンク色の小さい鳥が私の手に止まって、みんな不思議がった。
私は嬉しいのと、なんだかちょっとこわいのと、半々な気持ちだった。
それは、前に1度同じことがあって、その時の後悔を繰り返しちゃいけない、という気持ちだった。

前に1度、現実の世界でそういう経験をした事があって、それを夢の中で思い出したのだ。

中学生の時、体育の授業の前だった。
体育館に行く途中、屋根付きの渡り廊下を渡るのだけど、その時にスズメがいて、私は冗談で
「おいでおいで」
と言って手を出したら、本当に私の手にやって来たのだ。
周りにいた子たちは、
「おまえすごいな!
と言って驚いていた。
友達に渡そうとしたけど、なぜか私の手から離れなかった。
小さい鳥が、指に巻き付けた小さな爪が、意外と痛かったのを覚えている。
野鳥のスズメが、何を根拠に私を信頼しているのか分からなくて、何か憑いてるのかな!?と思ったりして恐ろしくなって、私はスズメに
「バイバイ」
と言って、空に放って体育館に逃げた。

夢の中で、今度は鳥の気が済むまで一緒にいよう、と思った。
でも、結局結末を覚えていないのだけど。

鳥といえば、やっぱり中学生の頃、実家の洗面所から見える小窓の外の植え込みに、ウグイスが巣を作って、ヒナが産まれた事があって、その可愛さは、反抗期まっさかりだった私と母の、ちょっとした潤滑油になっていた。
特に母は、そっと覗くのを楽しみにしていたようだった。
ある時私は、ヒナがあまりに近くにいたので、触れるかもと思って手を出してしまった。
ヒナはヒナのくせにすばしこくて、あっという間に逃げてしまった。
それから、ウグイスの親子は、戻ってくることはなかった。

母は、「触ろうとしたからよ」と言って、本当に悲しそうだった。
娘の私が見たこともないような顔だった。
しばらく口をきいてくれなかった。
後にも先にも、母にあんな種類の罪悪感を感じたのは、あの時だけだと思う。
まるで、小さい女の子が大切にしていたものを壊してしまったような、ものすごい罪悪感だった。
母は私がいるから母なだけで、ただの女の子なのかもしれない、とその時思った。
そうだとしたら、いろんなことが、しょうがないことに思えた。

なんだか、脈絡のない話になってしまった。
満月だからかも。
そういえば、昨日満月だと思っていたけど、間違いだった。
今日でした。
きれいだなぁ。

Sunday, September 11, 2011

月と穴


今日夜自転車で帰り道。
月がきれいだった。
多分満月だと思う。

満月をずっと見ていると、たまに「穴みたい」と思う。
あれは空に浮かんでいる球体ではなくて、空にあいた小さな穴なのではないか?と思う事がある。
こっちの世界は真っ暗で、穴の向こうの世界はすっごく明るくて、その穴から少しだけ、光が漏れているみたいに感じる事がある。
明るくて羨ましいなぁ、とちょっと思う。
こっちはこんなにも暗いのに。

でも、あんなに明るい世界に行ったら、目が痛いかも、と思って、やっぱりこっちでいいや、と、結局いつも思って帰る。

Wednesday, September 7, 2011

りんごの日にオジサンのPCが


9月3日(日)、都立大学で催されていた「クラーヴェとりんご」というイベントに行って来ました。ハルカゼ舎さんでフライヤーを見かけて、ずっと気になっていたのでした。
色んなお店のリンゴグッズが1度に見れて、とってもお得で楽しいイベントでした!

ドイツだったか、ポーランドだったか、ちょっと失念してしまいましたが、焼きリンゴを作るリンゴ型の食器が、本当に本当に可愛くて、かなりほしくて随分悩んだのですが、家に来ても持ち腐れになるだろうと思って、そちらは諦めました。

私が買ったのは、りんご柄の四角いお皿と、りんご型の小さな器と、りんごの絵が入った消しゴム。それと、「りんごドーナツ」という、柔らかくって優しい味のドーナツをお土産に買って帰ったのですが、これは写真に撮る前に食べちゃいました。
赤いりんごの小物入れと、りんごブローチ、りんごのカードスタンドは、元々持っていたものです。
これからりんごの季節だから、りんごのお皿に焼きりんご載せて食べようかな、と思ってます。楽しそう。

そんな素敵なイベントの帰り道、以前住んでいた街の喫茶店に立ち寄りました。某大手チェーン店の喫茶店で、私はほぼ毎日、ここでラフを描いておりました。

久しぶりにそこで作業をしていたら、隣のオジサンに話しかけられました。
「パソコン詳しいですか?」とオジサン。
「詳しくはないですが、なんでしょう?」と聞いてみると、
どうやら文字設定を大きくしたい、とのこと。
そのくらいなら教えられる、と思って、私はなぜか、「これです、これ」と言って、パソコンの液晶画面をギュンギュン押してしまったのです。

ええと、言い訳をするとですね、iPhoneだとか、iPadだとかを見慣れてしまって、触ると動く、というイメージがものすごく染み付いてしまっていて、「なんで動かないんだろ?反応悪いな」と思って、かなり強く押してしまいました、ノートパソコンなのに・・・

オジサンが「これですね」といって、操作してくれるまで、本っ当に気付きませんでした。

恐ろしいことです。
おそらく買ったばかりのオジサンのノートパソコンの液晶、あんなにギュンギュン押してしまうなんて・・・大丈夫だったかなぁ?
まぁ、ガサツな女だ、と思われたことは間違いありません。
オジサンすみません。
ガサツなのではなくて、私、ボケてただけなんです。

Friday, September 2, 2011

いつの間にか、が理想


ほぼ毎日食べている梅干し。
そのまま食べることもあるし、料理に使う事もあるし、お酢の替わりに使う事もあるし、とにかく私の食卓には、梅干しが全くない、という状態は、まずない。そのくらい、よく使う。

いつも、実家の母が、何かのついでに送ってくれる。

実家には、父の友人であるAさんとMさんという、2人のオジサンが作った2種類の梅干しが、常時大量にあって、私はMさんの梅干しが好きだった。(Aさんゴメンナサイ!Aさんのも悪くないのですが!)柔らかくて、酸っぱすぎず、しょっぱすぎず、ねっとりしていて。

Mさんが、脳梗塞で倒れたと聞いたのは、半年くらい前だったろうか?

タヌキみたいにお腹が出ていて、おしゃべりずきで、気前がよくて、体型を裏切らない太っ腹な、愉快なオジサン。
日曜日の夜に、よく家にお酒を飲みに来た。
Mさんの家は農家だったから、色んなものを収穫させてくれた。
しじみなんかもとった。
お年玉をたくさんくれた。
旅行に行くと、家にこれだけくれるのなら、全体でどれだけ買ってるの?ってくらいに、たくさんお土産をくれた。

今は寝たきりの状態だそうだが、口だけは全く異常なく、相変わらずおしゃべりらしい。
見舞いに行った母は、それだけが救いだったという。
私も、それを聞いた時にそう思った。
神様は、言葉だけは奪わないでくれたんだ、と思った。
おしゃべりなMさんは、「トイレに1人で行くのが目標!」と、陽気に言ったそうだ。

先日、「Mさんの梅干し、これが最後だよ」と言って、母が梅干しを送ってくれた。
「Mさんの」と書いた紙を貼って。

もう、半分くらい使ってしまった。
使うたびに、これで最後か、と思うと、勿体なくて、食べる前、無意識に手を合わせて「いただきます」と心から言ってしまう。
鼻の奥がキュンと痛くなる。
だって、全く同じ味には、もう2度と会えないのだ。
これはMさんのお家で採れた梅で、Mさんのやり方で干して漬けた味なのだから。
でも、勿体ぶるのはやめようと思う。
太っ腹なMさんの梅干しなのだから、気前良くホイホイ使って食べて、「いつの間にかなくなっちゃった〜」みたいのが、理想だと思っている。

そして、どんなに可能性が低くても、Mさんが再び梅干しを作れる日を、「絶対ありえないこと」って思わずにいよう、と思う。奇跡かもしれないけれど、絶対無理って思わないでいようと思っている。

今日も、Mさんの梅干しを食べます。
でも、ちょっとだけ、なくなってしまう前に、写真に残しておこう。