今まで確認したことがなかったのだけど、なんだか妙に気になって、実家の母に、私が何時頃生まれたのかたずねてみたところ、「8時頃台風と共に生まれて、生まれたとたん晴れたよ」と、聞いてもいない天候のことまで教えられたのでした。(のちに8時ではなく、9時45分だったことが判明しました。)
なんだか今回の誕生日は、色々と振り返る事がたくさんありました。
自分が生まれた時の事、子どもの頃、学生の頃、そして絵を始めた頃と今のこと。
絵を始めたばかりの頃、イラストレーターという職業は、私にとってすごく大きな存在で、相当の犠牲を払わなければいけないと覚悟していました。
犠牲というのは、身近なことでいうと、例えば欲しい物を我慢する、とか、貧困に耐える、とか、楽しい事を我慢する、とか、ちょっと漠然としているけれど、一般的に幸せでない状態にあらなければならないだろう、ということです。
とにかく、「仕事運以外で運を使ってはダメだ、全部こっちに回して下さい」という気持でした。そうじゃないと、特に上手いわけでもなく、経歴が良いわけでもなく、始めるには若くない自分が、仕事をもらえることなどないだろう、と思っていました。
そんな考え方と、その考え方に基づいた生活は、結構メチャクチャでした。
何しろ良くない事があった分だけ仕事運が上がる、という信念のもとに活動していたわけですから、率先してイヤな目に遭おうとしていた節があったように思います。
そんな甲斐あってか、ちょうど2年前の今頃、私はそれまでしていたデザインのお手伝いを辞め、やっとイラストレーターになれたわけですが、その幸運は、前述の信念のおかげだと信じていたので、無茶をすることは、むしろ美徳でした。
そして今度は、長年の夢であった自分の絵本を出版できる、という幸運に恵まれ、私はさらにその考えを信じ続けました。
その結果、私は、自分の身体の1部に病気を作ってしまいました。
何年もメチャクチャな生活をしてきたのですから、当然といえば当然ですし、犠牲を払って運を上げる、という破滅的な考えの顛末でもあるように思います。
分かった時には本当にショックでしたが、それでもまだ、「これだけ幸運に恵まれたのだから、その代償だ、仕方ない」と思っていたくらいです。(これは本当にそうなのかもしれません。)
でも、この半年間、色々な事を考え直しました。
自分の心が、あまりに自分の身体を無視していたこと。心と身体は本当は一緒なのに、身体は心に操縦されるものだと思い込んでいたこと。
犠牲を払って幸運で埋めてもらう、というやり方が、そもそも持続可能なはずがないということ。
正しい行いが、それと同じくらいの良い出来事として循環していく方が、よっぽど素敵だということ。
そんな風に考えられるようになったのは、自分の事も自分の周りの事も大切にしながら、なおかつ仕事を愛している素敵な人達に、たくさん出会う事ができたからだと思います。そういう人達に出会えた事に、とても感謝しています。
なんだかまとまりもなくて、面白みもない文章になってしまって、もし読んで下さっている人がいたら、申し訳ないです。
なんというか、ブログに書いていてなんですが、誰かに、というよりは、来年の自分に向けて、忘れないように書いている感じです。何しろ長年の信念(というより自己暗示ですね)を書き換えるわけですから、1日2日で変わる事はできないでしょう。でもひしひしと、こんなに分かりやすく?てくらい、転換期を感じているのです。だから、サボらないように、ちょっとだけ公の場で。
あやふやな書き方をしてしまって、心配をかけてしまってもいけないので、念のため。
病気は、いずれ手術が必要になるようですが、今すぐ、という切迫したものではありません。
生活習慣や食事などで軽減されるケースもあるようなので、奇跡の病気消滅を企んで勉強中です。サボるな自分よ。と言っているそばから夜ふかし!寝よう。