Wednesday, April 6, 2011

早朝


昨日は、かなり久しぶりに、朝6時半という時間に起きた。
会社勤めをしていた時も、7時台に起きていたから、6時台に起きるのは本当に久しぶりだ。

久しぶりに「早朝」と呼べる時間に起きて、「あぁそういえば」と思い出す感覚があった。
「早朝」は、なんとなく悲しい。
それは、夕方のなんとなくもの寂しい感じや、夜中の怖い感じとは違う、ごちゃまぜな、しいて言えば悲しい、といった感じだ。

1日の始まりだから、勿論高揚するような気持ちもあるのだけど、だからこそ、「今このまま何もかも置き去りにして、その気になれば、本当はどこにだって行ってしまうことが出来るのだ」という事に気付いてしまう。そんな事はしないのだけど。

実は本当に本当に自由だという事が悲しいのか、それとも結局そんな事はしないのが悲しいのか、どちらなのかはよく分からない。多分、両方なのだろうと思う。

まだ人気のない商店街を駅に向かって歩きながら、でも、「できない」のではなくて、「しない」のであれば、それはすごく尊いことだな、と思う。
自分に関わりのある人達も、同じような事を考えた事があるだろうか?と想像する。
きっと、あるだろう、と思う。
やっぱりその人達も、「しない」だけなのだろうと思う。

だとすると、「約束」というものは、ものすごい奇跡なのだな、と思う。
どこにだって行ってしまう事は出来るのに、明日の約束も、来週の約束も、来月の約束も、大抵の約束は守られていく。それは実はすごい奇跡なのだな、と思う。それが、「できない」ではくて、「しない」からくる結果だとしたら、とても尊い事だと思う。

どこかに行ってしまう事よりも、ここにあるものの方が大きいだけなのだ、今は、と思うと、やっぱりごちゃまぜに悲しい気持ちになるし、その大きさが変わってしまう前に、とにかく色々見ておかなくては、と思って見渡すと、周りの景色がザクザク突き刺さってくるような感じがする。
誰かが「この場所が好きだ」とか、「これは大切だ」と思った瞬間に、その場所や物は、もうただの場所でも物でもなくて、生き物と同じだと思う。少なくても誰かにとっては。

この感覚を思い出せて良かったと思う。もっともっと、この感覚を観察してみたいと思った。それは、今自分が作りたいものに繋がっているに違いないと思うのだ。数学の、長い長い式を、短くてキレイな形にするような事をしたい。私は数学が苦手だから、何度も何度も早朝を体験しなければ。

と思ったのに、今日は早速寝坊してしまった。
きっとまた明日から。もしかしたら明後日から。

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