日々の仕事は〆切が決まっていて、だから、当然それまでに終わらせなければいけないので、どうしても後回しになってしまうのだけど、新しいお話の骨組みを作っている。
それは、私が子どもの頃に亡くなってしまった叔母の記憶が根っこにあって、それは少し悲しい記憶で、私の中で出来ないまま今日に至ってしまった思いなどもあって、だから1度書いてみたのだけど、きっと思い入れが強すぎて複雑になりすぎてしまって、でもやっぱり書きたくて、今練り直している。
私は数学が苦手だったけど、数学の面白さって、もしかしたらこういうところにあるのではないだろうか?複雑なものを、できるだけ整理して、まとめて、1番短くて、美しくて、見やすい形にする作業。予想でしかないけれど。
そういう、そこそこに忙しい今日このタイミングで、突然に思い出した事!
初めてお会いする人には、大抵「ご本名ですか?」とか、名前の由来とかを聞かれる事が多くて、それはきっとお天気の話題と同じくらい、初対面の人と少しずつ会話を繋いでいくひとつの方法で、聞かれるのが嬉しいわけでも、逆に嫌なわけでもなくて。
でも、ごく僅かだけど、何にも聞かない人というのもいて、その人達にかぎって、すぐに名字じゃなくて名前で呼んでくれたりして、私はその人達の絶妙な距離のとり方や、放っておいてくれる感じや、それでいて、例えば目の前にある飲み物の事だけで何分も話せるおしゃべりの上手さが、たまらなく好きだな、いいな、尊敬するな、と思っていたのだけど。
後々になって、親しくなった時に、
「普通に本名だと思っていた」
という事が判明したりして、私は本当に感動して、頭がグラグラしたのだ。
私が想像していた事なんかより、ずっと大きくて、柔らかで、面白くて、素晴らしかったから。
その事を急に思い出して、空想が現実よりも素晴らしい事なんて、きっと無いのだ、と思った。考えてみれば当たり前の話で、どんなに逞しい想像力の持ち主でも、それは現実の世界を見ているから出来るわけで、だから、空想が現実を超えて行くなんて、思い上がりだ、と思った。
それがなぜか叔母の記憶と繋がって、なんというか、昔の記憶が今の実感と繋がって、直接のテーマとは違うのだけど、自分の身体の中から、外に引っ張ってくれる力というか、時計の針を動かしている、直接は見えないネジみたいなものというか。
こういう風に繋がると、自分に厳しくなれる。客観的に見れる。
ここ気に入ってるのに削りたくない、って思わなくなる。
でもこれは見えない動物みたいにすばしこいから、いなくならないうちにやらなければ!
その動物に、「早く早く」って急かされる。
私もやりたくってウズウズする。
こういう状態になったら、あとは頑張るだけ。