お忙しい中ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。
2012年が、明るく楽しい1年になる事を、祈っております。
残り僅かとなりましたが、2011年は、本当に、悲しい事が多すぎた1年でした。
日本中がそうでしたし、個人的にも、悲しい出来事が多かったように思います。
それは、3月以降に過敏になった神経がそう感じているだけなのか、人と土地にはやはり繋がりがあって、土地の変化が人にも連鎖して見えない変化を起こさせているのか、それともただの偶然なのか、確かな事はわかりません。
ですが、おそらく、その3つが少しずつ合わさっているのではないかと思います。
私はもともと、下らない事を気に病んだり、ウジウジしたりする質ではありますが、今年の感覚は、やはりいつもとは比較にならない類のものでした。
それは、ごはんも食べられない、掃除する気にもならない、誰にも会いたくない、といった、どん底な悲しみとは違って、お腹が空いたら食べるし、散らかれば掃除もする、人に会えば楽しくおしゃべりもするけど(決して無理にではなく、自然に)、その分、いつ回復するのか分からない、ずっと続いていくような怖さがありました。
それから、多分赤ん坊の時以来、1番泣いた1年でした。
部屋にいると理由もなく泣いたし、外でも気を緩めると泣けてくる、そんな状態が、今もまだ続いています。
何が悲しいのか、自分でもよく分からないのですが、やはり前に書いた3つの理由が、複雑に合わさっているのだと思います。
ただ、1つだけ希望があるのは、それが「悲しい」ままで、とどまってくれている事です。
自分の信念というか、守ろうと思っている事に、「憎々しい気持ちになるよりは、悲しい気持でいる方がましだ」というのがあるのですが、それは、「悲しい」に、ある種の美しさを感じるからです。(例えば、誰かが悲しい顔をしていたら、誰かが切ない気持になるでしょう。それは、ある人がある人を大切に思っているからです。その繋がりに、美しさを感じます。)
そんな日々の中、「新しい年」の意味が、初めて分かったように思いました。
それはきっと、祈りのようなものだったのではないのでしょうか?
年が変わったからといって、実際に何かが変わるわけではないのは、分かっているのです。
でも、そうしないとやりきれないような、悲しみが続きすぎてしまうような、そんな時があって、それが今のような気がするのです。
それは、「手の平に人って書いて…」のような、子どものおまじない、みたいなものかもしれません。
そして、新しい年のカレンダーを作る、という行為は、その「おまじない」そのものでした。
特別なメッセージやモチーフを描いたわけではありませんが、
「新しい年が、本当に新しくなりますように」
と、願いながら作りました。
明るい年になりますように。
むしろ、ならなきゃおかしい!
心から、そう思います。